、生ながら致すことを得たのである。しかし志保の生父の誰なるかは、遂に知ることが出来なかつた。
 分家伊沢口碑の伝ふる所は此の如くである。
 小島春庵の入京は事実の徴すべきものがある。わたくしは榛軒の前妻の伊沢氏にゐた間の最後の消息と、榛軒が志保を識つた時期とに本づいて、其|再娶《さいしゆ》を此年天保三年の事と推定した。此推定にして誤らぬならば、後十年天保十三年に小島宝素は日光准后宮舜仁法親王に扈随して京都に往つたのである。宝素は秋九月三日に江戸を発し、十二月十八日に江戸へ還つた。
 宝素入京の事実は、初めこれを長井金風さんに聞き、「日本博物学年表」を閲して其年を知り、後に宝素の裔小島|杲《かう》一さんに乞うて小島氏の由緒書を借抄することを得、終に其月日をも詳《つまびらか》にするに至つたのである。
 宝素が友人の妻のために、遠く摂州の慈姑を生致《せいち》したのは、伝ふべき佳話である。嶺南の茘枝《れいし》は帝王の驕奢を語り、摂州の慈姑は友朋の情誼を語る。
 志保の獲んと欲した所の二物は、其一が至つて、其二が至らなかつた。その至らなかつたものは志保が生父の名である。此志保の生父は抑《そも/\
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