》誰であらうか。
その二百三
蘭軒の嫡子榛軒の妻志保の母は、京都の典薬頭の家に仕へてゐて、其嗣子の子を生んだと云ふことであつた。京都の典薬頭の家は唯一の錦小路家あるのみである。志保の生年を寛政十二年だとすると、わたくしは寛政十一年より十二年に至る間の錦小路家の家族を検せなくてはならない。
わたくしは錦小路家の系譜を有せない。しかし諸家知譜拙記《しよけちふせつき》と年々の雲上明鑑《うんしやうめいかん》とに徴して其大概を知ることが出来る。
寛政十一年の雲上明鑑には「丹家、錦小路三位頼理卿、三十三、同従三位(下闕)」と記してある。当主|頼理《よりよし》は三十三歳で嫡子が無い。後に頼理の家を継ぐものは頼易《よりをさ》であるが、頼易は享和三年生で、此時は未だ生れてゐなかつたのである。
わたくしは或は口碑が若主人を嫡子と錯《あやま》つたので、別に致仕の老主人があつたのではないかと疑つた。しかし知譜拙記に拠るに、頼理の父|頼尚《よりひさ》は寛政九年十月八日に卒した。志保の母が妊娠した時には、頼理には父もなく子もなかつたのである。但《たゞ》頼尚の年齢には疑がある。知譜拙記には「寛
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