笑数刻。告別而帰。帰路上前丘。後面大呼火。回看慊堂先生与両三童子同戯。焼園中之草。共哄笑。」
 これを読んでわたくしは石経《せきけい》山房当時の状を想像することを得た。塩谷宕陰《しほのやたういん》撰の行状に、「買山幕西羽沢村、※[#「弗+りっとう」、8巻−15−上−14]茅以家焉、所謂石経山房也」と云つてあるのが是である。
 わたくしは嘗て安井小太郎さんに石経山房の址が桑原某の居となつてゐることを聞いた。そして中村秀樹さんに請うて其|詳《つまびらか》なるを知らむと欲した。中村氏の報ずる所に拠れば、其地は「下渋谷羽根沢二百四十九番地」で、現住者は海軍の医官桑原荘吉さんである。

     その二百

 西洋の屋《いへ》は甎石《せんせき》を以て築き起すから、縦《たと》ひ天災|兵燹《へいせん》を閲《けみ》しても、崩壊して痕跡を留めざるに至ることは無い。それゆゑ碩学鴻儒の故居には往々|銅※[#「片+旁」、第4水準2−80−16]《どうばう》を嵌《かん》してこれを標する。我国の木屋《もくをく》は一|炬《きよ》にして焚き尽され、唯空地を遺すのみである。頃日《このごろ》所々に木札を植《た》てて故跡を
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