標示することが行はれてゐるが、松崎|慊堂《かうだう》の宅址の如きは未だ其数に入らない。
青山六丁目より電車道を東に折れて、六本木に至る道筋がある。蘭軒を葬つた長谷寺《ちやうこくじ》は此道筋の北にあつて、慊堂が石経山房の址は其南にある。長谷寺に往くには高樹町巡査派出所の角を北に入る。石経山房の址を訪ふには、其手前|雕塑家《てうそか》菊池氏の家の辺より南に入る。そして赤十字病院正門の西南方に至れば、桑原氏の標札のある邸を見出すことが出来る。
赤十字病院前を南に行つて西側に、雑貨商大久保増太郎と云ふ叟《をぢ》が住んでゐる。大久保氏は羽沢根生《はねざはねおひ》の人で、石経山房の址がいかなる変遷を閲したかを知つてゐる。松崎氏の後、文久中に佐倉藩士木村軍次郎と云ふものが、長崎から来て住んだ。隣人が「木村と云ふ人は裸馬に乗つて歩く人だ」と云つた。恐くは洋式の馬具を装つた馬に騎《の》つたのであらう。木村が去つた後には下渋谷の某寺の隠居が住んだ。其次は杉田勇右衛門と云ふもので、此に住んで土地の売買をした。杉田は薩摩の人ださうであつた。其次が今の桑原荘吉さんだと云ふ。桑原氏は明治十四五年の頃此に移り来
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