ときは、諸生をして不在と道《い》はしめた。諸生が或は躊躇すると、蘭軒は奥より「留守だと道へ」と叫んだ。其声は往々客の耳にも入つたさうである。
嘗て自ら笑仙《せうせん》と号したのも、交遊間に「蘭軒の高笑《たかわらひ》」の語が行はれてゐたからである。
菅茶山は毎《つね》に「大声高笑《おほごゑたかわらひ》」の語を以て蘭軒に戯れた。此に茶山の書牘一通があつて、文中に此語が見えてゐる。書牘は文化丙寅六月十九日に茶山が蘭軒の父|信階《のぶしな》に与へたもので、文淵堂の花天月地《くわてんげつち》中に収められてゐる。
丙寅は蘭軒の長崎に往つた年である。茶山はこれを七日市《なぬかいち》へ迎へ、神辺に伴ひ帰つて饗応し、又尾道まで見送つた。書牘は此会見の状況を江戸にある蘭軒の父に報じたものである。わたくしは前《さき》に蘭軒の長崎行を叙した時、未だ花天月地を見なかつたので、此文を引くことが出来なかつた。文は下《しも》の如くである。
「時下大暑の候御坐候。弥御揃御安祥被成御坐候覧、奉恭賀候。」
「扨めづらしく辞安様御西遊、おもひかけなくゆる/\御めにかかり、大によろこび申候。大坂より御状下され、此たびのこ
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