墓は、後に葬られた嗣子榛軒の墓と並んで立つてゐる。
 伊沢分家の口碑は蘭軒歿時の話柄《わへい》二三を伝へてゐる。蘭軒の姉|正宗院《しやうそうゐん》は溜池より来て、弟の病牀に侍してゐた。尋《つい》で弟の絶息した後、来弔の客を引見した。蘭軒の門人某の父が来て痛惜の情を※[#「てへん+慮」、第4水準2−13−58]《の》べた。正宗院は云つた。
「わたくしも惜しい事だと存じてをります。わたくしが代つて死なれるものなら死にたいと存じましたが、どうも致し方がございませんでした。」
「さやうでございます。それはあなたが先生の代にお死なさつたら、大勢の諸生がどの位喜んだか知れません。」これが門人の父の答であつた。
 正宗院は瞠目《だうもく》して言ふ所を知らなかつた。しかし客の去つた後、其淳樸を賞した。

     その百八十八

 蘭軒が此年文政十二年三月十七日に歿した時、今一つの話柄があつて、伊沢分家の口碑に遺つてゐる。それは歿後|幾《いくばく》もなく初夏の季に入つて、誰やらが「大声の耳に残るや初鰹」の句を作つたと云ふことである。
 蘭軒は平生大声で談《はな》し、大声で笑つた。俗客の門《かど》に来る
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