足疾は少壮の時よりあつて、蹇《あしなへ》となつてからも既に十七年を経てゐる。しかし此人の性命を奪つたのは何の病であらうか。口碑の伝ふる所のものもなく、記載の徴すべきものもない。三十二日前に夜友を会して詩を賦したことを思へば、死の転帰を見るべき病は、当時猶未だ其徴候を呈せなかつたであらう。推するに蘭軒の病は急劇の証であつたと見える。以上書き畢《をは》つた後、徳《めぐむ》さんの言《こと》を聞けば、蘭軒夫妻と常三郎とは同一の熱病に罹つたらしく、柏軒も亦これに侵されて頭髪が皆脱したさうである。此に由つて観れば、此病を免れたものは榛軒夫婦のみであつた。
蘭軒は安永六年十一月十一日に生れたから、年を享くること五十三である。法諡を芳桜軒自安信恬《はうあうけんじあんしんてん》居士と云ふ。
蘭軒の墓は麻布の長谷寺《ちやうこくじ》にある。笄坂上《かうがいざかうへ》を巡査派出所の傍《かたはら》より東に入つて、左折して衝き当れば、寺門がある。門内の右方《いうはう》には橋本|箕山《きざん》の碑がある。東京の最大碑の一である。本堂前より左すれば、高く土を封じた松平正直の墓がある。其前の小径の一辺に、蘭軒夫妻の
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