かうだう》天保十三年の上書《じやうしよ》がある。安井息軒のこれに跋するを見れば、当時徳川家斉の美挙は俗吏|賈豎《こじゆ》の誤る所となつたらしい。「潜聴於四方、所刻率誤本俗籍。所謂盛典。半為賈豎射利之挙。」そして慊堂の刻せむと欲した五経、三史、李善註文選《りぜんちゆうもんぜん》、杜氏通典《としつうてん》だに、今に※[#「二点しんにょう+台」、第3水準1−92−53]《いた》つて未だ善本の刻せらるるを見ぬのである。「今此十余種者。半蔵於秘府。固非人間所得窺。而其存於侯国及人家僧院者。地有遠近。人有繁間。苟不梓而広之。其目覩之者能幾人。則雖存猶亡爾。」世|遷《うつ》り時|易《かは》つて、楓山《もみぢやま》文庫は内閣文庫となり、政府と自治体と競つて図書館を起しても、市に善本なきことは今猶古のごとくである。
その百八十二
※[#「くさかんむり/姦」、7巻−356−下−4]斎詩集には此年文政十年の冬唯七絶二首があるのみである。一は「篠池冬晴」、一は「観猟」で、恐くは皆課題の作であらう。
此年蘭軒五十一歳、妻益四十五、榛軒二十四、常三郎二十三、柏軒十八、長十四であつた。榛軒の妻勇は
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