の菅茶山に寄示した「万頃春波漫夜烟」の詩に由つて知られる。そして既に此書が丁亥の書なるを知れば、榛軒の星期が丁亥の初にあつたことも亦自ら明になるのである。若し更に蘭軒の次年戊子元旦の詩註を取つて合せ看るときは、榛軒の妻|勇《ゆう》が来嫁《らいか》の後未だ幾《いくばく》ならずして懐胎したことが知られるであらう。
右の蘭軒の書に答ふる茶山の書の断片には、「花堤夜色淡生烟」云々の次韻の詩がある。茶山は蘭軒の此遊に二児の提挈《ていけつ》あるを羨んで云つた。「私は子なし。養子もとかく相応せず、才子過て傲慢、こまり申候。」此養子とは誰か。公《おほやけ》に養子と称せられたものには、初め万年があつた。万年の歿後には菅三がある。しかし此語は菅三を斥《さ》して言つたものではなささうである。然らば所謂中継か。今や北条霞亭は既に逝《ゆ》いた後である。或は門田朴斎《もんでんぼくさい》ではなからうか。わたくしの思ふには、縦令《たとひ》茶山が朴斎を傲慢なりとなしたとしても、此|言《こと》は必ずしも朴斎を傷くるものでは無い。前に茶山と山陽との間に融和を欠いた如くに、後又茶山と朴斎との間に輯睦《しふぼく》を欠いたかも
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