彡」、第4水準2−85−17]日《ゆうじつ》之書之御返事也。前二句は花堤夜色淡生烟。政是江波月弄妍などか。」
僧空海は承和二年三月二十一日に寂した。其忌日は三月二十一日である。※[#「月+彡」、第4水準2−85−17]日の「※[#「月+彡」、第4水準2−85−17]」字の草体は頗読み難かつた。偶《たま/\》今関|天彭《てんはう》さんが来て商書の「高宗※[#「月+彡」、第4水準2−85−17]日」であらうと云つた。茶山は祭の明日を謂つたものであらう。そこでわたくしは二十二日と推定した。茶山は※[#「月+彡」、第4水準2−85−17]日の旁《かたはら》に線を加へて「八島戦之後四日也」と註してゐる。しかし屋島の戦は二月であつた。然らば壇浦の戦は奈何《いかに》と云ふに、これは又三月二十二日より遅れてゐるやうである。恐くは茶山の違算であらう。蘭軒の書が丁亥の三月二十二日のものであつたことは、丁亥三月既望の詩を寄示したるに由つて知ることが出来る。
その百七十八
「空海上人忌日※[#「月+彡」、第4水準2−85−17]日」の蘭軒の書牘が、此年文政十年の三月二十二日に作られたことは、そ
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