告げた。茶山が「風流御境界之由羨敷奉存候」と云ふ所以である。
次の「六右衛門」は市野三右衛門の迷庵と狩谷三右衛門の※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎とである。茶山は蘭軒が、時に此第二第三の人物と相見るや否やを問ひ、又特に迷庵の消息の絶えたことを言つてゐる。茶山のこれを書したのは、実に迷庵の死に先《さきだ》つこと半年である。松崎|慊堂《かうだう》の碣銘《けつめい》に曰く。「又数年得風疾。漸不能言。最後余与狩谷卿雲往候之。君但黙坐。聴所談論。唖唖声涙倶下。未幾而没。」わたくしは今「慊堂日暦」を閲して、纔《わづか》に甲申の歳に至つてゐる。知る所の最後の訪問は甲申二月五日である。想ふに慊堂はその迷庵との最後の会見を録することを忘れぬであらう。茶山と迷庵との音信の絶えたのは、迷庵中風の後ではなからうか。
書中第四の「古庵」は余語《よご》氏、第五の「石田」は梧堂、第六の「服部」は栗陰《りついん》であらう。第七第八の「玄間兄弟」は屈平《くつへい》を学んだ人の二子であらうか。伊沢|徳《めぐむ》さんの語る所に拠るに、三沢氏は玄間の称を世襲したもので、徳の父棠軒の同僚にも一の洋医三沢玄間があ
前へ
次へ
全1133ページ中561ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング