つたさうである。
わたくしは此正月に蘭軒の嫡男榛軒が新婦を迎へたものと推定する。これを直書《ちよくしよ》した文書は今一も存してゐない。わたくしの推定の本づく所は、此年四月頃の茶山の尺牘の断片と、次年戊子元旦の蘭軒の詩の註とである。
前者尺牘断片は下《しも》に其全文を写し出して、その何故に此年四月の所作ならざるべからざるかを明にするであらう。蘭軒は此年三月二十二日に書を茶山に寄せ、茶山はこれに答へた。わたくしは其答書が偶《たま/\》断片を世間に留めたものと看るのである。文中「嫁御御祝儀に有合候宮島楊枝進申候、薄物《はくぶつ》に候、これは乗韋《じようゐ》と可被思召候」と云つてある。此語は先断片の三月二十二日江戸発の書に答へたものなることを承認した上で、其前に伊沢氏に婦を迎へたことがあると云ふ証に充《み》つべきものたるに過ぎない。断片は饗庭篁村《あへばくわうそん》さんの蔵する所である。
後者「戊子元日作」の自註には「客歳十二月元彫千金翼方影鈔卒業」と云ひ、次に「十一月児厚挙女子」と云つてある。十一月の上《かみ》には前註の「客歳」を連ねて読むべきである。客歳は此年丁亥で、其十一月に榛軒信
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