くしの目中《もくちゆう》の抽斎や其師蘭軒は、必ずしも山陽茶山の下《しも》には居らぬのである。
山陽が広島杉木小路の家を奔《はし》つたのは九月五日である。豊田郡竹原で山陽の祖父又十郎|惟清《これきよ》の弟伝五郎|惟宣《これのぶ》が歿したので、梅※[#「風にょう+思」、第4水準2−92−36]《ばいし》は山陽をくやみに遣つた。山陽は従祖祖父《じゆうそそふ》の家へ往かずに途中から逃げたのである。竹原は山陽の高祖父総兵衛正茂の始て来り住した地である。素《もと》正茂は小早川隆景に仕へて備後国に居つた。そして隆景の歿後、御調郡《みつきごほり》三原の西なる頼兼村から隣郡安藝国豊田郡竹原に遷《うつ》つた。当時の正茂が職業を、春水は「造海舶、販運為業」と書してゐる。しかし長井金風さんの獲た春水の「万松院雅集贈梧屋道人」七絶の箋に裏書がある。文中「頼弥太郎、抑紺屋之産也」と云つてある。此語は金風さんが嘗て広島にあつて江木鰐水の門人河野某に聞いた所と符合する。河野は面《まのあた》り未亡人としての梅※[#「風にょう+思」、第4水準2−92−36]をも見た人であつたさうである。これも亦彼の※[#「木+夜」、第
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