園氏|淳《じゆん》が山陽に嫁した。後一年ならずして離別せられた不幸なる妻である。十二月七日の春水の日記「久児夜帰太遅、戒禁足」の文が、家庭の頼山陽に引いてある。山陽が後|真《まこと》に屏禁《へいきん》せられる一年前の事である。
此年蘭軒は二十三歳、父信階は五十六歳であつた。
その二十
寛政十二年は信階父子の家にダアトを詳《つまびらか》にすべき事の無かつた年である。此年に山陽は屏禁せられた。わたくしは蘭軒を伝ふるに当つて、時に山陽を一顧せざることを得ない。現に伊沢氏の子孫も毎《つね》に曾《かつ》て山陽を舎《やど》したことを語り出でて、古い記念を喚び覚してゐる。譬へば逆旅《げきりよ》の主人が過客中の貴人を数ふるが如くである。これは晦《かく》れたる蘭軒の裔《すゑ》が顕れたる山陽に対する当然の情であらう。
これに似て非なるは、わたくしが渋江抽斎のために長文を書いたのを見て、無用の人を伝したと云ひ、これを老人が骨董を掘り出すに比した学者である。此《かく》の如き人は蘭軒伝を見ても、只山陽茶山の側面観をのみ其中に求むるであらう。わたくしは敢て成心としてこれを斥《しりぞ》ける。わた
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