もある。わたくしの今これに言及する所以《ゆゑん》である。蘭台は幕府の医官井上通翁の子である。金峨は笠間の医官井上観斎の子である。篁※[#「土へん+敦」、第3水準1−15−63]は父祖以来医を以て水戸に仕へ、自己も亦一たび家業を継いで吉田林庵と称した。此の如く医にして儒なるものが、多く考証家となつたのは、恐くは偶然ではあるまい。
 此年の暮れむとする十二月二十五日に、広島では春水が御園《みその》道英の女《ぢよ》淳《じゆん》を子婦《よめ》に取ることを許された。不幸なる最初の山陽が妻である。
 此年蘭軒は二十二歳、其父信階は五十五歳であつた。
 寛政十一年に狩谷氏で※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎が家を嗣いだ。わたくしは既に云つたやうに、※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎は此より先に実家高橋氏を去つて保古《はうこ》が湯島の店津軽屋に来てをり、此時家督相続をして保古の称三右衛門を襲《つ》いだかとおもふ。
 ※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎の家世には不明な事が頗る多い。※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎の生父高橋|高敏《かうびん》は通称|与総次《よそう
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