。其日時は不明である。山陽が三日頃に立つことを期してゐた証拠は、父に寄せた書に見えてゐる。又其発程が二十五日より前であつたことは、二洲が姨夫《いふ》春水に与へた書に徴して知ることが出来る。わたくしは山陽が淹留期《えんりうき》の後半を狩谷氏に寓して過したかとおもひ、又彼の父に寄する書を狩谷氏の許にあつて裁したかとおもふ。
 此年九月|朔《ついたち》に吉田|篁※[#「土へん+敦」、第3水準1−15−63]《くわうとん》が歿した。其年歯には諸書に異同があるがわたくしは未だ考ふるに遑《いとま》がなかつた。わたくしが篁※[#「土へん+敦」、第3水準1−15−63]の死を此に註するのは、考証家として蘭軒の先駆者であるからである。井上|蘭台《らんたい》の門に井上|金峨《きんが》を出し、金峨の門に此篁※[#「土へん+敦」、第3水準1−15−63]を出した。蘭軒は師承の系統を殊にしてはゐるが、其学風は帰する所を同じうしてゐる。且亀田|鵬斎《ぼうさい》の如く、篁※[#「土へん+敦」、第3水準1−15−63]と偕《とも》に金峨の門に出で、蘭軒と親善に、又蘭軒の師友たる茶山と傾蓋|故《ふる》きが如くであつた人
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