あらう。墓誌には※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎が生家高橋氏を去つて、狩谷氏を嗣《つ》いだのは、二十五歳の時だとしてある。即ち山陽を舎《やど》した二年の後である。わたくしは墓誌の記する所を以て家督相続をなし、三右衛門と称した日だとするのである。※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎の少時|奈何《いか》に保古に遇せられたかは、わたくしの詳《つまびらか》にせざる所であるが、想ふに保古は※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎の学を好むのに掣肘を加へはしなかつたであらう。※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎は保古の下にあつて商業を見習ひつつも、早く已に校勘の業に染指《せんし》してゐたであらう。それゆゑにわたくしは、山陽が同一の雰囲気中に入つたものと見るのである。
洋人の諺に「雨から霤《あまだれ》へ」と云ふことがある。山陽はどうしても古本の塵を蒙ることを免れなかつた。わたくしは山陽が又何かの宋槧本《そうざんぼん》を写させられはしなかつたかと猜する。そして運命の反復して人に戯るゝを可笑《をか》しくおもふ。
その十九
寛政十年四月に山陽は江戸を去つた
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