り》新居の壬午の歳に成つたことを思はしむる一事である。霞亭は妻孥と共に一たび阿部邸の長屋に入り、居ること久しうして後、始て嚢里に移つたらしい。嚢里の詩中「移居入秋初」の句は此に由つて始て矛盾を免れる。そして八月九日は必ずしも霞亭一家の江戸に著いた日とはせられない。木犀舎祖筵の月は猶疑を存して置かなくてはならない。
わたくしは姑《しばら》く此に嚢里のトポグラフイイを記して置く。浜野氏の故旧に聞く所に拠れば、霞亭が嚢里の家は今の本郷区駒込西片町十番地「ろ部、柳町の坂を上りたる所、中川謙次郎氏の居所の前辺《まへあたり》より左に入りたる」袋町《ふくろまち》であつたさうである。
その百六十三
此年文政七年の冬に入つてより、蘭軒は十月十三日に本草経竟宴《ほんざうきやう/\えん》の詩を賦した。竟宴には宿題があつて、蘭軒は※[#「肄」の「聿」に代えて「欠」、第3水準1−86−31]冬《くわんとう》を詠じた。其七絶は※[#「くさかんむり/姦」、7巻−321−上−5]斎《かんさい》詩集に見えてゐるが、此には省《はぶ》く。
蘭軒が講じた本草経とはいかなる書か。是は頗るむづかしい問題である
前へ
次へ
全1133ページ中521ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング