。支那の文献を論ずることが、特にわたくしの難《かた》んずる所なるは、既に数《しば/\》云つた如くであるが、此問題の難いのは独りわたくしの知識の足らざるがために難いばかりではない。
本草経の所謂神農本草経であることは論を須《ま》たない。しかし当時此名の下に行はれてゐて信頼すべき書は存在してゐなかつた。是故《このゆゑ》に上《かみ》の問題を反復して、「蘭軒が講じた神農本草経とはいかなる本か」と云ふに至つて、わたくしの以て難しとする所は始て明になるのである。
本草の書の始て成つたのは、その何《いづ》れの時なるを知らない。漢書は藝文志に本草を載せずして、只|平帝紀《へいていのき》に其名が見えてゐる。前人は本草の著録は張華《ちやうくわ》華佗《くわだ》の輩の手に出でたであらうと云つてゐる。隋書以下の志が方《まさ》に纔《わづか》に本草経を載せてゐる。その神農の名を冠するは猶|内経《ないけい》に黄帝の名を冠するがごとくである。
神農本草経には三巻説と四巻説とがある。そして四巻説が正しいらしい。即ち上中下と序録一巻とがあつたと云ふのである。
既にして後人が交《こも/″\》起つてこれを増益した。そし
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