亭先生」と云ふのは、何月五日であらうか。
 今仮に八月九日を以て、霞亭一家の江戸に著した日だとすると、木犀舎|祖筵《そえん》の五日は辛巳七月五日でなくてはならない。そして彼楝軒が霞亭に寄せた「秋気満庭虫乱鳴」の詩は、七月朔より五日に至る間に成つて発送せられたものでなくてはならない。木犀舎は山岡氏の家で、今の阿部伯の家令岡田|吉顕《よしあき》さんの姻家ださうである。
 只此に一の疑問がある。それは上《かみ》の「来携妻孥乍復東」の詩の題下に、「十月五日」の細註が下《くだ》してあることである。しかし上の仮定が誤らぬとすると、十月は霞亭の備後を去つた後となる。福田氏の抄本を見るに、「十月」の傍《かたはら》に「原書のまま」と註してある。按ずるに福田氏も亦此「十」字に疑を挾《さしはさ》んでゐるらしい。
 記《き》して此に至つた時、わたくしは的矢の北条氏所蔵の霞亭尺牘一|篋《けふ》を借ることを得た。思ふにわたくしは今よりこれを検して、他日幾多の訂正をしなくてはなるまい。わたくしは此に先づ一の大いなる錯誤を匡《たゞ》して置く。それは偶《たま/\》篋中より抽《ぬ》き出した一通が、わたくしをして嚢里《なう
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