別の病証であらう。専門臨床家の説が叩きたいものである。
 わたくしは上《かみ》に此年の北条霞亭一週忌の事を言つた。江戸に於ては蘭軒や柴山某等が巣鴨真性寺の墓に詣で、神辺に於ては茶山が月下に思を墓畔の宿草《しゆくさう》に馳せた。わたくしは既に甲戌に茶山の江戸に入つたことを言つて、其留守居の霞亭なりしことに及んだ。霞亭を説くこと一たびである。次に辛巳に霞亭の江戸に入つたことを言つた。霞亭を説くこと二たびである。次に癸未に霞亭の歿したことを言つた。霞亭を説くこと三たびである。今其一週忌に当つて、又霞亭の事を言ふ。即ちこれを説くこと四たびである。そして料《はか》らずも其一女の名を発見することを得た。
 しかし諸友はわたくしのために霞亭の遺事を捜索して未だ已まない。わたくしは読者に寛宥《くわんいう》を乞うて、下《しも》に少しく諸友の告ぐる所を追記しようとおもふ。

     その百六十一

 わたくしは此年文政七年の北条霞亭一週忌の事を言つた。そして新に得たる史料に拠つて、霞亭の遺事を其後に追記しようとおもふ。史料とは何であるか。その最も重要なるものは第一、「北条譲四郎由緒書」である。是は浜野知
前へ 次へ
全1133ページ中515ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング