三郎さんが阿部家の記録に就いて抄写して示した。次は第二、「楝軒詩集」である。是は福田禄太郎さんが写して贈つた。最後に第三、嚢里《なうり》に関する故旧の談話である、是も亦浜野氏の教ふる所である。
霞亭|解褐《かいかつ》の年は、わたくしは岡本花亭の尺牘に本づいて辛巳となした。花亭は壬午九月四日に「去年福山侯の聘に応じ解褐候」と云つてゐる。
しかし花亭の語は詳《つまびらか》でなかつた。由緒書に徴するに、「文政二卯四月十七日五人扶持被下置、折々弘道館へ出席致世話候様」と云つてある。山陽の「福山藩給俸五口、時召説書」と書したのが是である。花亭は解褐の年即|東徙《とうし》の年となしてゐたが、実は解褐の東徙に先《さきだ》つこと二年であつた。霞亭は己卯四十歳にして既に阿部家の禄を食《は》んだ。
次は霞亭東命の月日である。わたくしは菅茶山の辛巳五月二十六日の書柬に本づいて、霞亭が此年の春杪《しゆんせう》夏初《かしよ》に江戸に入つたものとした。
此推測には大過は無かつた。由緒書に徴するに、「同(文政)四巳四月十三日御用出府、同年六月七日暫御差留、同日丸山学問所へ罷出、講釈其外書生取立、御儒者と申合
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