《ばう》との名を殊にしてゐるのは、一は是にして一は非であらう。
 只|憾《うら》むらくは、書を蔵することの少いわたくしは、説郛以下の叢書を見るに由なく、又性疎懶にして図書館の恩蔭を被ることが出来ない。そこで姑《しばら》く捜索の念を断つこととした。想ふに謝氏の演し成す所の話《わ》が僅に十数行であるから、蒙斎筆談の文は二三行に過ぎぬであらう。
 以上書き畢《をは》つた時、弟潤三郎が説郛を抄して寄示した。「頃有嘲好古者謬云。以市古物不計直破家。無以食。遂為丐。猶持所有顔子陋巷瓢。号於人曰。孰有太公九府銭。乞一文。吾得無似之耶。」吾とは著者自ら謂ふのである。説郛本は鄭景壁と署してあつて、「土」に从《したが》ふ「壁」に作つてある。
 蘭軒は此年文政六年に阿部|正精《まさきよ》に代つて「刻弘安本孝経跋」を草した。原来伊沢の家では、父|信階《のぶしな》の時より、毎旦《まいたん》孝経を誦《しよう》する例になつてゐたので、蘭軒は命を承けて大いに喜んだ。「今也公(正精)跋此書。儒臣不乏於其人。而命信恬草之。寵遇之渥。豈可不恐惶乎。」
 阿部侯の蔵する所の此孝経は弘安二年九月十三日の鈔写に係る巻子本で、「紙
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