は填《うづ》むべからざる空隙がある。
わたくしは霞亭に関する記載の頗《すこぶる》不完全なるを自知しながら、忍んで此に筆を絶たなくてはならない。何故かと云ふに、癸酉以後の事蹟には、前《さき》に一巻の帰省詩嚢、一篇の嚢里移居詩《なうりいきよし》を借り来つて、菅茶山の書牘に註脚を加へた後、今に至るまで何の得る所も無いからである。わたくしは最後に「薇山三観」の事を補記して置く。これも亦浜野氏の借覧を許した書の一である。
霞亭は黄薇《くわうび》に入つた後に、三原に梅を観、山南《さんな》に漁《すなどり》を観、竹田に螢を観た。これが所謂三観である。
梅の詩は末に「右甲戌初春」と書してある。文化十一年正月で、備後に来てからの第二年である。
漁は鯛網である。其詩の末には「右丙子初夏」と書してある。螢の詩の末には「右丙子仲夏」と書してある。備後に来てからの第四年、文化十三年四月及五月である。彼詩嚢を齎した帰省の「出門」を七月であつたとすると、的屋の遊は踵《くびす》を竹田の遊に接してゐる。
わたくしが霞亭に関する以上の事を記したのは、蘭軒を伝して文政六年に至り、其年十一月二十三日に茶山の蘭軒に与へ
前へ
次へ
全1133ページ中485ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング