堂。是日宿雨初晴。花開七分。」
「七日発六田。霞亭還洛。子亨従送之。」此より霞亭は山内子亨を伴つて京の歳寒堂に帰つたのである。凹巷等は此日|赤埴《あかばね》に宿し、八日|杉平《すぎたひら》に宿し、九日|鶴宿《つるじゆく》に宿し、十日に凹巷の桜葉館《あうえふくわん》に著した。主人は河崎、佐藤の二人を座に延いた。「故園吾館迎還好。桜葉陰濃緑満扉。」
その百五十
わたくしは浜野氏の蔵書二三種を借り得て、其中に就いて北条霞亭の履歴を求め、年を逐うてこれを記し、遂に文化十年癸酉、霞亭三十四歳の時に至つた。霞亭は此年の三月七日に吉野の遊より帰つて六田《むた》に至り、伊勢の諸友と袂を分かつた。
然るに此三月七日より後には、年の暮るゝに至るまで、一事の月日《げつじつ》を詳《つまびらか》にすべきものだに無い。霞亭が京都を去つて備後に赴いたのは、其生涯の大事である。そして此の如き大事が、わたくしのためには猶月日不詳の暗黒裏に埋没せられてゐるのである。わたくしは唯山陽の「歳癸酉、遊備後」の語を知つてゐる。強ひて時間を限劃《げんくわく》しようとしても、三月七日の後、十二月|晦《みそか》の前に
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