た書を引いたから起つたのである。当時霞亭は既に江戸|嚢里《なうり》の家に歿してより九十五日を経てゐた。妻井上氏|敬《きやう》は神辺《かんなべ》に帰る旅が殆ど果てて、「帰宅明日にあり」と云ふことになつてゐた。
 茶山の書牘には、敬とこれに随従してゐた足軽との外、猶二人の名が出てゐる。其一は鵜川某である。「鵜川段々世話いたしくれられ候由、此事御申伝尚御たのみ可被下奉願上候。」鵜川は子醇《しじゆん》であらう。事は北条氏の不幸に連繋してゐる。
 其二は牧唯助《まきたゞすけ》である。「むかしの臼杵直卿也」と註してある。五山堂詩話の牧|古愚《こぐ》字《あざな》は直卿《ちよくけい》、号は黙庵が、茶山集の臼杵直卿《うすきちよくけい》と同人であつたことが、此文に由つて証せられる。茶山の言ふ所は霞亭一家の事には与《あづか》らない。
 牧は当時江戸にゐた。松平冠山が何事をか茶山に託したので、茶山はこれを牧に伝へた。然るに「うんともすんとも返事無之候」であつた。茶山は蘭軒をして牧に催促せしめようとしたのである。冠山は因幡国鳥取の城主松平氏の支封松平|縫殿頭《ぬひのかみ》定常で、実は池田筑前守政重の弟である。そ
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