雲遊四方、数歳而帰郷、(中略)遂往訪則云、先生以本月朔病歿、今已六日、実文化七年三月也、夫知己相待之殷、以十三年※[#「目+癸」、第4水準2−82−11]離之久、期一見於二百里外、豈意其人既亡、臨之後事、即俾予此行、纔在数日前、尚及其目未瞑也」と云つてゐる。文台は文化七年三月|朔《ついたち》に五十六歳で歿したのである。此渉筆の文より推せば、所謂十三年前は寛政九年で、文台は霞亭と始て相識つた年に、早く既に京を去つたらしい。所謂「居無幾」は一載にだに満たぬ月日であつた。
霞亭は文化七年三月六日に、伊賀の広岡の家を訪うた。そしてこれは郷里的屋に帰つて若干日《じやくかんじつ》を経た後であつた。上《かみ》に略した文に、「数歳而帰郷、爾来簡牘往来、比々不絶、先生数促予命駕、予亦佇望已久」と云つてある。霞亭は七年の春早く的屋に帰つたかとおもはれる。
凹巷が文台の事を叙した文は下《しも》の如くである。其中には霞亭が郷を離れて後八年にして帰つたと云ふことと、師に別れて後十三年にして帰つたと云ふことと、両《ふた》つながら見えてゐる。「広岡文台先生伊州人也。嘗在京洛。以医為業。鬱々不得志。久之帰郷。吾友
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