とは何事を斥《さ》して言つたか、知りたいものである。しかしわたくしは未だこれを窮むるよすがを得ない。
狩谷の橋梓《けうし》即望之懐之が辛巳西遊中、宮島に往つた後「いづかたいかなる遊《あそび》」をなしたか、茶山は聞きたいと云つてゐる。わたくしも今茶山と願を同じうしてゐる。しかし既に云つた如く、わたくしは只父子が奈良に遊んだことを知るのみである。茶山の口※[#「月+(勿/口)」、7巻−256−上−11]《こうふん》によつて考へて見れば、※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎父子の宮島の遊は計画のみに止まつたのではないらしい。書牘の文が茶山は既に宮島までの事を知つてゐて、其後の旅程を問ふやうに聞き取られるからである。
茶山の存問《そんもん》を受けた古庵は余語《よご》氏である。市川は恐くは市河であらう。若し然りとすると、米庵でなくてはならない。何故といふに寛斎は既に二年前に歿してゐるからである。成田氏は成章、鵜川氏は子醇である。梧堂は石田道である。鵜川は茶山に書を寄せたことが、原本の氏旁《しはう》に朱書してある。今これを括弧内に収めた。これに反して石田は茶山に無沙汰をしてゐる。「杳然
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