包羞汗淋漓。」霞亭が福山侯の聘を受けたのは、此寿宴の後五年であつた。
わたくしは此より霞亭東徙の事を言はうと思ふ。山陽は霞亭が備後に仕宦するまでの事を叙して、其間に時を指定する語を下さなかつた。しかし仕宦は備後に往つてからの第九年に於いてしたのである。次に山陽は仕宦と東役とを叙して其間に一の「尋《ついで》」の字を下し、「尋特召東邸」と云つてゐる。しかし仕宦と東役とは同年の事であつた。上に写し出した茶山の書がこれを証する。
茶山は此年文政四年五月二十六日に、書を霞亭に与へて、「御道中道ゆきぶりは追而可被仰遣候」と云つてゐる。これは未だ霞亭東徙後の書を得ざる時の語である。少くも未だ其覊旅の状況を悉《つく》さざる時の語である。霞亭の将孥《しやうど》東徙は恐くは春の末、夏の初であつただらう。
約《つゞ》めて言へば下《しも》の如くになる。霞亭は文化十年三十四歳で備後に往つた。十一年三十五歳で廉塾を監した。十二年三十六歳若しくは十三年三十七歳で妻を娶つた。文政四年四十二歳で福山に仕へ、直ちに召されて江戸に至つた。此年辛巳の春杪《しゆんせう》夏初《かしよ》には、狩谷※[#「木+夜」、第3水準1
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