何時娶つたかの問題は、帰省詩嚢中の霞亭の詩を得て稍解決に近づいた。霞亭は文化十二年の後半若しくは十三年の前半に娶つたのである。
 次は何時仕へたかの問題である。わたくしは前に岡本花亭の霞亭を評した語を挙げた。それは花亭の書牘に見えてゐるものであつた。此書牘は、既に云つた如くに、文政五年九月四日に作られたものである。そして霞亭が仕宦の時を知るにも、亦|上《かみ》の語が用立つのである。
 書牘には「去年福山侯の聘に応じ解褐候」と云つてある。即ち霞亭の仕へたのは文政四年である。
 霞亭は備後に往つた文化十年癸酉から算して、第三年の末若しくは第四年の初に娶つた。此間は頗短い。次で第九年に仕へた。此間は稍長い。
 彼詩嚢を齎《もたら》して塾に返つた帰省は、霞亭が既に娶つて未だ仕へざる間にある。それゆゑ「家大人適斎先生七十寿宴恭賦」と題した詩にも、不遇を歎ずる語が見えてゐる。「疎拙不合世。蹉※[#「足へん+它」、第3水準1−92−33]何所為。棲々十余載。置身無立錐。郷党是非起。到処遭罵嗤。哀々吾父母。愚衷深見知。在此羞辱際。恩愛終不移。遂住千里外。終年苦乖離。帰来雖云楽。一物無献遺。窃向弟妹歎。
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