峨に隠遁いたし候を茶山老人に招かれ、備後黄葉山廉塾をあづかり、去年福山侯の聘に応じ解褐《かつをとき》候」と云つてゐる。此弟惟長との嵯峨の幽棲があつて、始て鵬斎の「年来高踏、不覊塵累」が活きるのである。花亭の文は竹柏園の蔵儲に係る尺牘で、九月四日の日附がある。そしてそれが文政五年九月四日だと云ふことは、霞亭の齢《よはひ》が四十三としてあるを以て知ることが出来る。
 わたくしは語つて此に至つて、霞亭の容貌を想ひ浮べる。山陽は「君為人※[#「やまいだれ+瞿」、第3水準1−88−62]而晢、隆準、眼有光」と云つてゐる。又「風神灑脱」とも云つてゐる。これが嵯峨の庵《いほり》の主人《あるじ》であつた。そしてその口にする所は奈何《いかん》。「跌蕩不量分。功業妄自期。意謂身顕達。竹帛名可垂。」そして此主人に侍してゐたものは誰か。少《わか》い弟惟長只一人であつた。
 想ふに霞亭は所謂一筋繩では行かぬ男であつた。茶山はこれを捉へるまでには、余程骨を折つたことであらう。

     その百二十一

 わたくしは北条霞亭の東徙《とうし》を語るに先だつて、霞亭は何時|娶《めと》つたか、何時仕へたかと問うた。
 
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