−85−76]斎が子を携へて江戸を発し、霞亭が孥《ど》を将《ひきゐ》て江戸に入つたのである。
 ※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎はわたくしは其詳伝の有無を知らない。市人であつたので、由緒書の如きものも獲難からう。現に相識の曾孫三市さんの家には、此の如きものを存してゐない。これに反して霞亭に至つては、必ずや記録の現存してゐるものがあらう。しかし此の如き側面よりする立証も、全く無価値ではあるまい。何故と云ふに表向の書上《かきあげ》は必ずしも事実そのまゝでは無い。往々旁証のコントロオルを待つて始て信を伝ふるに足ることがあるからである。

     その百二十二

 北条霞亭は此年文政四年に家を挙げて江戸に徙《うつ》つた。わたくしの推測する所に従へば、春杪夏初の頃であつたらしい。山陽は「居丸山邸舎」と記してゐる。しかしこれには語つて詳《つまびらか》ならざるものがあるらしい。
 霞亭に「嚢里移居詩」があつて、此時の状況が悉《つく》してある。「我生本散誕。山沢一※[#「やまいだれ+瞿」、第3水準1−88−62]儒。承乏厠教職。衆中実濫※[#「竹かんむり/于」、第3水準1−89−57]。
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