太中僑居問疾、邂逅于藝藩頼千祺、観其餞辛島伯彜還西肥之作、席上※[#「庚/貝」、第3水準1−92−25]韻示千祺、用進退韻。相遇還歎相遇遅。風騒如涌筆如飛。青年令聞徒翹慕。白首仰顔交喜悲。退食過門朝問疾。高談前席※[#「日+干」、7巻−235−下−8]忘帰。寄書伯氏為伝語。官脚広陵報信時。自註、伯氏弥太郎也、頼惟寛、字千秋、其仲頼惟疆、字千齢。」太田全斎のためには、竹亭が詩を其日本輿地図に題した。「題太田方日本輿地図。一摺輿図万里程。東漸西被属文明。五畿七道存胸臆。六十八州接眼睛。彩色辨疆如錦繍。針盤記度似棋※[#「木+怦のつくり」、第4水準2−14−44]。越都歴険無糧費。看愛臥遊楽太平。」宛然たる明治大正詩人の口吻である。
 竹亭の子松宇は名を頼寛《らいくわん》と云つて、俳諧を嗜《たし》んだ。松宇の子兵助は喜多七大夫の門に入つて、能師となつた。兵助の子が即ち我客幸作さんである。

     その百十七

 蘭軒は京に往く狩谷※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎に書を買ふことを託したので、※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎は此辛巳四月十四日の簡牘の末に訪書の消息を語
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