三年には又代替があつた。以下は正精の世に於ける履歴である。文化元年、竹亭六十六歳、読書御用。二年六十七歳、熈徳院《きとくゐん》石槨蓋裏雕文《せきくわくがいりてうぶん》作字《さくじ》。熈徳院は正倫の法諡《はふし》である。六年七十一歳、四月二十日出精に付金五百疋。十一年七十六歳、霊台院石槨蓋裏雕文作字。霊台院は上《かみ》に云つた如く、正倫の継室津軽|信寧《のぶやす》の女《ぢよ》、比左子である。十四年四月十二日、竹亭は七十九歳にして歿した。
竹亭の遺した無題簽の一小冊子がある。中に菅茶山、太田全斎、頼杏坪等と交つた跡がある。竹亭は彼※[#「さんずい+章」、第3水準1−87−8]州|牽牛子《けにごし》をも茶山の手から受けた。「菅太中遙贈牽牛子種。謂此※[#「さんずい+章」、第3水準1−87−8]州所産。花到日午猶不萎。乃蒔見花。信如所聞。遂賦一絶寄謝。牽牛異種異邦来。駅使寄投手自栽。紅日中天花未酔。籬頭猶※[#「敬/手」、第3水準1−84−92]琉璃杯。」甲子の歳に茶山の江戸に来た時、竹亭は公退の途次其病床を訪うた。蘭軒が菜花を贈つた比の事である。其席には杏坪が来てゐた。「甲子二月下直、過菅
前へ
次へ
全1133ページ中383ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング