と云ふのである。

     その十四

 伊沢氏の口碑の伝ふる所はかうである。蘭軒は頼春水とも菅茶山とも交はつた。就中《なかんづく》茶山は同じく阿部家の俸を食《は》む身の上であるので、其|交《まじはり》が殊に深かつた。それゆゑ山陽は江戸に来たとき、本郷真砂町の伊沢の家で草鞋《わらぢ》を脱いだ。其頃伊沢では病源候論を写してゐたので、山陽は写字の手伝をした。さて暫くしてから、蘭軒は同窓の友なる狩谷※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎に山陽を紹介して、※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎の家に寓せしむることゝしたと云ふのである。
 此説は世の伝ふる所と太《はなは》だ逕庭《けいてい》がある。世の伝ふる所は一見いかにも自然らしく、これを前後の事情に照すに、しつくりと※[#「月+(勿/口)」、7巻−29−下−5]合《ふんがふ》する。叔父杏坪と共に出て来た山陽が、聖堂で学ばうとしてゐたことは勿論である。其聖堂には、六年前に幕府に召し出されて、伏見両替町から江戸へ引き越し、「以其足不良、特給官舎於昌平黌内」と云ふことになつた従母婿《じゆうぼせい》の二洲|尾藤良佐《びとうりやうさ》が住
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