」と云つてある事である。三村氏の考証した文政二年の旅が此句に由つて確保《かくはう》せられる。※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎は二年己卯に京都へ往つた。しかもその木曾路を経て西したことさへ知ることが出来る。※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎は己卯に京までは往つたが、更に南下して菅茶山を神辺に訪ふことをばせずに已んだのである。茶山は※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎の西遊を慫慂《しようよう》して、「長崎は一とほり見ておきたき処也」と云つた。想ふに※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎は入京数度に及びながら、京よりして南下するには及ばなかつたのであらう。少くも丁丑前には九州の地をば踏まなかつたことが明である。
 ※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎は木曾路を行くのに、十五年前の蘭軒の紀行を携へてゐて、且読み且行つた。「御紀行毎夕読候而御同行仕候様に奉存候」と云つてある。或は二年前の旅にも持つて行き、此度の旅にも持つて行つて、反覆翫味したかも知れない。紀行の繕写せられたのは、己卯よりは早かつた筈だからである。
 ※[#「木+夜」、第3水準1−85−
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