で、福山に於て医学世話を命ぜられたのである。わたくしの此証左を得たのは浜野氏の賚《たまもの》である。
 此年庚辰の秋は、蘭軒の集に詩六首がある。八月は十三日に雨が降つた。蘭軒は友と湯島の酒楼に会し、韻を分つて詩を賦した。「八月十三日雨、飲湯島某楼、分韻得麻」の七律がある。十五日は晴であつた。「中秋」の七絶に「夜色冷凄軽靄収、満城明月好中秋」の句がある。茶山の集には此日詩三首がある。暦《れき》が社日に当つてゐたこと、隣郷に放生会があつて、神辺《かんなべ》の街が賑つたこと、木星が月に入つたこと等が知られる。「忽覩一星排戸入。得非后※[#「栩のつくり/廾」、第3水準1−90−29]覓妻来。」一星は木星である。九月には蘭軒に唯一詩の録すべきものがある。それは月日を徴すべき作で、しかも其事が頗る奇である。「九月七日即事。吟味値秋方覚奇。菊花香浅点疎籬。忽然有客来催債。想得満城風雨詩。」

     その百十

 此年文政三年冬の半に、蘭軒の姉|幾勢《きせ》が記念すべき事に遭遇した。仕ふる所の黒田家未亡人|幸子《さちこ》が、十一月二十四日に六十三歳で歿したのである。既に云つた如く、此主従の関係は中
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