と称した。初代が玄益|寧成《ねいせい》、二代が玄益|順成《じゆんせい》、三代が玄益|成美《せいび》である。寧成は安永十年に表医師に召し出だされ、寛政元年に歿した。福山志料の町医玄益は此寧成か、或は其父かであらう。順成は其後を襲《つ》いで表医師となり、文化九年奥医師に進み、文政十一年に歿した。成美は文政元年に出仕を命ぜられ、四年に表医師となり、十年に医学世話を命ぜられ、十一年に順成の後を襲ぎ、十二年に奥医師となつた。
然るに二世順成には弟があつて、一旦順成の養嗣子となつたが、早く文化元年に歿した。其名が周山世成《しうざんせいせい》であつた。三世成美は叔父《しゆくふ》の死んだために家を継ぐこととなつた。其初の名は周迪成美であつたと云ふのである。
是に於て蘭軒の門人周迪が三世玄益成美だと云ふことが明になつた。按ずるに成美は出仕を命ぜられた後に、江戸へ修業に来て文政三年の夏福山に還り、四年に表医師を拝したのであらう。
果して然らば周迪成美の伯孝たることは、復《また》疑ふことを須《もち》ゐぬであらう。馬屋原成美、字は伯孝、初め周迪と称し、後恕庵と改め、又父祖の称玄益を襲いだ。医を蘭軒に学ん
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