にしない。只富士川游さんの所蔵の蘭軒雑記に、「千屈菜《せんくつさい》、和名みそはぎ、六月|晦日御祓《みそかみそぎ》の頃より咲初《さきそむ》る心ならむと余《わが》考也、赤荻先生にも問しかば、先生さもあらむと答られき」と記してあるだけである。手元にある諸書を一わたり捜索して、最後に白井光太郎さんの日本博物学年表を通覧したが、此人の名は遂に見出すことが出来なかつた。年表には動植の両索引と書名索引とがあつて、人名索引が無い。事の序《ついで》に白井さんに、改板の期に至つて、人名索引を附せられむことを望む。わたくしは又赤荻由儀に就いて見る所があつたら、一報を煩したいと云ふことを白井さんに頼んで置いた。
 蘭軒が師事した所の儒家医家は概《おほむ》ね此の如きに過ぎない。わたくしは蘭軒の師家より得た所のものには余り重きを置きたくない。蘭軒は恐くは主としてオオトヂダクトとして其学を成就したものではなからうか。
 蘭軒は後に詩を善くし書を善くした。しかし其師承を詳にしない。只詩は菅茶山《くわんちやざん》に就いて正を乞うたことを知るのみである。蘭軒が始て詩筒を寄せたのは、推するに福山侯阿部|正倫《まさとも》が
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