成玉《せいぎよく》、字は叔琢《しゆくたく》である。信濃国筑摩郡松本の城主松平丹波守|光行《みつゆき》の医官になつた。寿仙の弟春泰、名は世簡《せいかん》、字は季父《きふ》である。横山の事は未だ詳《つまびらか》にしない。
 蘭軒が医学の師は目黒道琢、武田叔安であつたと云ふ。目黒道琢、名は某、字は恕卿である。寛政の末の武鑑に目見医師の部に載せて、「日比谷御門内今大路一|所《しよ》」と註してある。浅田|栗園《りつゑん》の皇朝医史には此人のために伝が立ててあるさうであるが、今其書が手元に無い。
 武田叔安は天明中より武鑑寄合医師の部に載せて、「四百俵、愛宕下」と註してある。文化の末より法眼《はふげん》としてあつて、持高と住所とは旧に依つてゐる。武田氏は由緒ある家とおぼしく、家に後水尾天皇の宸翰二通、後小松天皇の宸翰一通を蔵してゐたさうである。
 蘭軒が本草《ほんざう》の師は太田大洲、赤荻由儀であつたと云ふ。太田大洲、名は澄元、字は子通である。又崇広堂の号がある。享保六年に生れ、寛政七年十月十二日に七十五歳で歿した。按ずるに蘭軒は其古稀以後の弟子《ていし》であらう。
 赤荻由儀はわたくしは其人を詳
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