学風である。
蘭軒が豊洲の手を経て、此学統より伝へ得た所は何物であらうか。窃《ひそか》に思ふに只蘭軒をして能く拘儒《くじゆ》たることを免れしめただけが、即ち此学統のせめてもの賚《たまもの》ではなかつただらうか。
その十二
蘭軒が泉豊洲の門下にあつた時、同窓の友には狩谷|※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎《えきさい》、木村|文河《ぶんか》、植村士明、下条寿仙《げでうじゆせん》、春泰の兄弟、横山辰弥等があつた。※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎の孫女《まごむすめ》は後に蘭軒の子柏軒に嫁し、柏軒の女《むすめ》が又※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎の養孫《やうそん》矩之《くし》に嫁して、伊沢狩谷の二氏は姻戚の関係を重ねた。
木村文河、名は定良《さだよし》、字《あざな》は駿卿、通称は駿蔵、一に橿園《きやうゑん》と号した。身分は先手与力《さきてよりき》であつた。橘|千蔭《ちかげ》、村田|春海《はるみ》等と交り、草野和歌集を撰んだ人である。
植村士明、名は貞皎、号を知らない。士明は字《あざな》である。江戸の人で、蘭軒と親しかつた。
下条寿仙、名は
前へ
次へ
全1133ページ中33ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング