、第4水準2−82−50]跪餌図」を作つて贈つた。茶山も幸にして病に悩されずに、快く巵《さかづき》を挙げたと見える。「不知身上残齢減。猶且欣々把寿巵。」前にも云つたやうに、わたくしは蘭軒の寿詞の闕けてゐるのを憾とする。
 茶山の家では夏に入つてから後も、祝賀の余波が未だ絶えなかつた。「誕辰後諸君持詩来集」の七律に、「新荷嫩筍回塘夕、微暑軽寒熟麦時」の頸聯がある。祝賀は麦秋《むぎあき》の頃にさへ及んだのである。
 此年の夏以後、蘭軒の集中には僅に四首の詩を存してゐて、しかも其一は題があつて詩が無い。人のために画に題する詩の中で、吉田周斎がためにするものは詩があつて、門人|秦玄民《はたげんみん》がためにするものは詩がないのである。玄民は書家星池の弟で、後に飯田氏を冒したものである。
 旺秋に入つてから、茶山の蘭軒に寄せた書牘が遺つてゐる。是より先七月に茶山は蘭軒の書を得てこれに答へた。次で蘭軒の再度の書が来て、茶山は八月七日に此書牘を作つたのである。これは文淵堂所蔵の花天月地《くわてんげつち》中に収められてゐる。
「先達而《せんだつて》御寸札ならびに論語到来、其御返事先月廿日|比《ごろ》い
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