尚古二公子」の詩を読んで是《かく》の如くに解する。「方怕芳縁相結得、鮮花香裡不帰来」は、戯《たはぶれ》と称すと雖も、実は規であらう。
 莱園の誰なるかは、わたくしは知らない。或は法眼宗英の家の子弟ではなからうか。尚古《しやうこ》も亦未詳である。海保漁村の経籍訪古志の序に、小島宝素の事を謂つて、「宝素小島君学古」となしてある。尚質《なほかた》の字《あざな》は学古とも尚古とも云つたのではなからうか。尚質は此年二十一歳であつた。
 わたくしは只蘭軒が何故に菅茶山のために寿詞を作らなかつたかを怪む。茶山の七十の寿筵が其誕辰に開かれたとすると、此年二月二日であつた筈である。寛延元年二月二日に菅波喜太郎《すがなみきたらう》として生れたからである。

     その九十三

 菅茶山の七十の誕辰は、行状に「十四年(文化)丁丑、先生年七十、賜金寿之」と書してある。阿部家から金を賜はつたことである。其日の七律の七八に「展観寿頌堆牀上、且喜諸公未我捐」と云つてある。詩集の載する所のみを以てしても、楽翁白川老侯は「寿歌寿杯」を賜はつた。谷文晁は「※[#「石+番」、第4水準2−82−57]※[#「石へん+奚」
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