し、薩罐《さつくわん》の下には「家兄之所贈」と註してある。家姉の幾勢《きせ》たるは論なく、家兄は蘭軒の宗家伊沢|信美《しんび》を呼ぶ語であつたことが、此に由つて考へられる。菅茶山が「麻布令兄」と書した所以《ゆゑん》であらう。此春蘭軒は轎《かご》に乗つて上野の花をも見に往つた。「東叡山看花」の絶句に、「劉郎不復曾遊態、扶病漫追芳候来」の句がある。
長崎に真野遜斎《まのそんさい》と云ふものがあつて、六十の寿筵が開かれたのも此春である。蘭軒の「遙寿長崎遜斎真野翁六十」の詩に、「嚢中碧※[#「竹かんむり/(金+碌のつくり)」、第3水準1−89−79]伝三世、局裏金丹恵衆民」の頷聯があつて、其下に「老人為施薬所主司」と註してある。
僧|混外《こんげ》が蘭軒に芭蕉を贈つたのも此春である。「清音閣主混外上人見贈芭蕉数根、賦謝」として七絶がある。「懐師方外辱交情。寄贈芭蕉数本清。従此孤吟風雨夕。応思香閣聴渓声。」宥快《いうくわい》は居る所の室を清音閣と云つて、其清音は滝の川の水声を謂つたものと見える。
其他此春少壮官医中に蘭軒の規箴《きしん》を受けたものがあるらしい。わたくしは「戯呈山本莱園小島
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