十六七になりし寡婦御坐候にめあはせ、菅三と申姪孫生長迄の中継にいたし候積」と云つてある。行状を参照すれば、「二弟曰汝※[#「木+便」、第4水準2−15−14]、(中略)曰晋葆、(中略)無後、汝※[#「木+便」、第4水準2−15−14]亦夭、有子曰万年、(中略)亦夭、有子曰惟繩、称三郎、於先生為姪孫、今嗣菅氏、(中略)又延志摩人北条譲、為廉塾都講、以妹女井上氏妻焉」と云つてある。茶山は女姪《ぢよてつ》井上氏を以て霞亭に妻《めあは》せ、徐《しづか》に菅三万年《くわんさんまんねん》の長ずるを待たうとした。即ち「中継」である。
茶山は前《さき》に久太郎を抑止しようとした時は後住《ごぢゆう》と云ひ、今譲四郎を拘係《くけい》しようとする時は仲継と云ふ。その俗簡を作るに臨んでも、字を下すこと的確動すべからざるものがある。わたくしは其印象の鮮明にして、銭《ぜに》の新に模《ぼ》を出でたるが如くなるを見て、いまさらのやうに茶山の天成の文人であつたことを思ふのである。
北条霞亭よりして外、茶山の此書は今一人の新人物を蘭軒に紹介してゐる。それは女である。「尾道女画史」豊《とよ》である。
蘭軒の姉、黒田家
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