、「寄題波響楼」の長古が目に触れた。題の下《もと》にはかう云ふ自註がある。「松前人源広年。字世※[#「示+古」、第3水準1−89−26]。別号波響。今藩主親弟。出嗣大夫家。冒姓蠣崎氏。(中略。)所居有楼。前臨大洋。名以波響。因亦自号焉。」是に由つて観れば、波響広年は美作守道広の弟であつたと見える。わたくしは始て釈然とした。茶山|書牘《しよどく》の波響の条には猶犬塚|印南《いんなん》の名も出てゐる。印南も亦此書に名を列した文化十年の十一月十二日に歿した。茶山の友人は次第に凋落して行くのであつた。

     その六十七

 此年文化十年の秋に入つてから、集中に詩十二首があつて、其七首は「晩秋病中雑詠」である。爾余は野遊の七律一、菊と楓《もみぢ》との七絶各一、柳橋を過ぐる七絶一、木村|定良《さだよし》に訪はれた五律一である。
 菊の詩は巣鴨の造菊《つくりぎく》を嘲《あざけ》つたものである。武江年表に拠れば、巣鴨の造菊は前年文化九年九月に始まつて、十三年に至るまで行はれた。「巣鴨村有藝戸数十、毎戸栽菊、培養頗精、有高丈許、枝亦数尺者、繊竹構※[#「木+宣」、7巻−137−下−9]、巧造人物禽
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