が好いと教へてくれた。
 釈雲室《しやくうんしつ》の記する所を見れば、印南がいかなる時に籍を昌平黌に置いたかと云ふことがわかる。祭酒林家は羅山より鵞峰、鳳岡《ほうかう》、快堂、鳳谷、竜潭、鳳潭の七世にして血脈が絶えた。八世錦峰信敬は富田能登守の二男で、始て林家へ養子にはいつた。市河寛斎は林家の旧学頭|関松※[#「片+總のつくり」、第3水準1−87−68]《せきしようそう》の門人にして、又新祭酒錦峰の師であつたので、学頭に挙げられた。聖堂は寛斎、八代巣河岸《やよすがし》は松※[#「片+總のつくり」、第3水準1−87−68]を学頭とすることとなつたのである。印南は此時代に酒井|雅楽頭忠以《うたのかみたゞざね》浪人結城唯助として入塾した。これが田沼|主殿頭意知《とのものかみおきとも》執政の間の聖堂である。松※[#「片+總のつくり」、第3水準1−87−68]は意知に信任せられて聖堂の実権を握つてゐた。錦峰の実家富田氏は柳原松井町に住んでゐた七千石の旗下であつた。
 尋で田沼意知が死んで、楽翁公松平越中守定信の執政の世となつた。柴野|栗山《りつざん》、岡田寒泉が擢用せられ、松※[#「片+總のつく
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