晴後陰、北方は初陰後晴であつた。讃岐は陰、筑前は晴であつた。播磨は陰、摂津(須磨)は晴、山城(京都)は陰、大和(吉野)は大風、伊勢は風雨、参河《みかは》(岡崎)は雨であつた。観察の範囲は一層拡大せられて、旧説の妄は愈《いよ/\》明になつた。「常年もかかるべけれども、今年はじめて心づきてしるすなり」と、茶山は書してゐる。しかし茶山は丙子の年に始て心づいたのではない。五六年間心に掛けてゐて反復観察し、丙子の年に至つて始てこれを書に筆したのである。わたくしは少時井沢長秀の俗説辨《ぞくせつべん》を愛して、九州にゐた時其墓を訪うたことがある。茶山の此説の如きも、亦俗説辨を補ふべきものである。
その五十九
庚午|旺秋《わうしう》の茶山の尺牘《せきどく》には種々の人の名が見えてゐる。皆蘭軒の識る所にして又茶山の識る所である。
其一は木王園《もくわうゑん》主人である。上《かみ》に云つた犬塚|印南《いんなん》で、此年六十一歳、蘭軒は長者として遇してゐた。茶山もこれを詳《つまびらか》にしてゐて、一|陪字《ばいじ》を下してゐる。頃日《このごろ》市河三陽さんが印南の事は「雲室随筆」を参照する
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