二日附である。下《しも》に「翌廿三日出勤番入仕候」と書き足してある。今届と云ふ代に、当時|達《たつし》と云つたものと見える。
 夏は蘭軒が健《すこやか》に過したことだけが知れてゐる。「夏日過両国橋。涼歩其如熱閙何。満川強半妓船多。関東第一絃歌海。吾亦昔年漫踏過。」素直に聞けば、余りに早く老いたのを怪みたくなる。しかし素直に聞かずには置きにくい詩である。三十四歳の蘭軒をして此語をなさしめたものは、恐くは其足疾であらうか。
 秋になつて八月の末に、菅茶山が蘭軒に長い手紙を寄せた。此|簡牘《かんどく》は伊沢信平さんがわたくしに借してくれた二通の中の一つで、他の一つは此より後十四年、文政八年十二月十一日に裁せられたものである。わたくしは此二通を借り受けた時、些《ちと》の遅疑することもなく其年次を考ふることを得て、大いにこれを快とし、直に記して信平さんに報じて置いた。今先づ此年八月二十八日の書を下に写し出すこととしよう。

     その五十八

 茶山が文化七年八月二十八日に蘭軒に与へた書は下《しも》の如くである。
「御病気いかが。死なぬ病と承候故、念慮にも不掛《かけず》と申程に御座候ひき。今
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