益《ます》は二十七、嫡子|榛軒信厚《しんけんのぶあつ》は六つ、次子常三郎は五つであつた。
文化七年は蘭軒がために詩の収穫の乏しかつた年である。集に僅に七絶三首が載せてあつて、其二は春、其一は夏である。皆考拠に資するには物足らぬ作である。これに反して所謂《いはゆる》勤向覚書が此年の二月に起藁せられてゐて、蘭軒の公生涯を知るべきギイドとなる。
正月十日に蘭軒の三男柏軒が生れた。母は嫡室《てきしつ》飯田氏益である。小字《をさなな》は鉄三郎と云つた。
二月七日に蘭軒は湯島天神下薬湯へ湯治に往つた。「私儀去十二月下旬より足痛相煩引込罷在候而、加藤遠江守様御医師谷村玄※[#「王+民」、第3水準1−87−89]薬服用仕、段々快方には候得共、未聢と不仕、此上薬湯え罷越候はゞ可然旨玄※[#「王+民」、第3水準1−87−89]申聞候、依之月代仕、湯島天神下薬湯え三廻り罷越申度段奉願上候所、即刻願之通山岡衛士殿被仰渡候。」これが二月七日附の文書である。
蘭軒は二十三日に至つて病|愈《い》え事を視ることを得た。「私儀足痛全快仕候に付、薬湯中には御座候得共、明廿三日より出勤仕候段御達申上候。」これが二十
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